Sep 28, 2010
一世一代注文住宅の建設
1年前に家を新築しました。夢の注文住宅です。主人の幼馴染が設計士ということができ、思いのままをたくさん語っています。いずれにせよ、掃除しやすいか。アジアンな雰囲気の開放感のある家。地域の建売には妥協してもいいかなという部分にまでこだわりました。しかし、いざ生活してみると、1センチメートルのくぼみや隙間掃除に舌をしてしまいます。設計士さんに言えば、やっぱり主婦の視線は鋭いですね。私も勉強になりました。と言っていました。注文住宅は自分に責任やあ夢があるので後悔はしていません。後悔はしていませんが、人生に何度も立てることができない家です。 100点満点の家を建てるために、3件ほど作って生活してみないといけないと思っていました。外壁塗装をすると自分の好きな色の場合は、絶対に変えて望んでいない人がいる。インタラクティブな恐ろしいもので、一度意地とメーカーから企業までのようなゴトエソヘヤ嫌だと言う人も出てくるだろう。それでも外壁塗装は、その程度の条件があってもいいかもしれない。色付きは、会社ごとに異なりますので、信頼性の高いゴトエハジャ。
シンガー・ソングライターの河口恭吾が、ラジオパーソナリティーのセシリアと結婚することが13日、わかった。2人はレギュラー番組を持っていたFM滋賀で約10年前に出会い、昨年末に再会すると交際へと発展、近く入籍する予定としている。河口は「共に人生を歩むパートナーを得て、喜びと同時に身が引き締まる思いです」とコメントを寄せた。
河口恭吾の写真付きプロフィール
河口は2000年にデビュー。2003年に発売した1stアルバム『STARS FROM DECADE〜輝ける星たち〜』に収録された「桜」が話題となり、2005年には『NHK紅白歌合戦』に出場するなど活躍。昨年デビュー10周年を迎え、より精力的に活動を行うなかでの、結婚報告となった。一方のセシリアは日本人の父とメキシコ人の母を持つハーフで、1998年よりタレント活動を開始。大阪を拠点に、テレビリポーターやイベントの司会などの活動を経て、現在は朝日放送にてラジオパーソナリティーを務めている。
「結婚を新たなスタートとしてこれまで以上に音楽活動に邁進して行きたいと思いますので、皆さん引き続き応援のほどよろしくお願いいたします」と決意を語る河口は、カバーアルバム第2弾『君を好きだったあの頃2』(6月30日発売)を引っさげ、30日よりコンサートツアー『ありがとうSONGSコンサート〜いつもそばにいるあなたへ〜』をスタートする。
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「あれれ? 海外にいるはずの支局長がなぜ被災地に?」――。
最近、東日本大震災の被災地で取材にあたっているフジテレビの報道スタッフからこんな疑問の声が上がるという。3月11日の地震発生直後は民放各局の報道局は社会部や政治部、外信部の垣根を取っ払い、震災報道の取材にあたった。しかし、1カ月を過ぎた頃から外信部の局員は徐々に海外支局に戻り始め、報道局も通常体制にシフトした。
ところが、なぜかフジでは北京支局やロンドン支局など支局長クラスが系列の岩手めんこいテレビや仙台放送などから現地リポートを続けているという。
●経費もかかるのに
被災地で取材にあたっている他のフジのスタッフらはこう語る。
「外信部のスタッフは約2週間おきに、海外支局と被災地を行き来しています。例えば応援に来たロンドン支局の局員が、4月29日のロイヤルウエディングが近づくと現地に戻るといった具合です。こうした日本と海外の往復の飛行機はビジネスクラスだし、ホテル代などで、ひとり数百万円かかる。“経費のムダだと思う”という声が社内にもあります」
フジがこんなヘンテコな取材体制を続けているのは、報道局のトップが外信部出身で、子飼いの部下を被災地に送り込みたいからだという。
フジでは「取材体制については公表しておりませんので、お答えできません」(広報部)とコメント。いずれにせよ未曽有の国難だから、幹部を送り込んでいるというワケではなさそうだ。
(日刊ゲンダイ2011年6月10日掲載)
●大豊泰昭さん
94年の中日時代、38本塁打、107打点で2冠に輝いた大豊泰昭さん。文字通り、セ・リーグを代表する大砲、長距離砲だった。豪快な一本足打法は今でもファンのまぶたに焼き付いている。大豊さんはその後、阪神、中日と移り、02年のシーズンを最後にユニホームを脱いだ。さて、今どうしているんだろう。
「リーマン・ショック以降、景気が悪くてね。それが店をたたんだ理由のひとつ。あと、2年前に大病を患ったのも転換点になったね」
名古屋市内からクルマで約45分。岐阜県海津市のお千代保稲荷の参道にある「大豊ちゃん」で会った大豊さん、まずはこう言った。大豊さんは3月まで名古屋を代表する繁華街、錦で本格的中華料理の「大豊飯店」を経営していた。
「地上5階・地下1階だった大豊飯店と比べれば、今度の店は20坪。正直、小さいねぇ、ハハハ。でも、ここは『おちょぼさん』の愛称で親しまれてる商売繁盛、家内安全の神社で、年間約250万人の参拝客がある。十分商売できるよ」
串カツ、どて煮といったB級グルメが店のウリ。大豊さんも率先して春巻きの形をした自家製の棒餃子(ギョーザ)(2個300円)を店先で焼く。すると中日ファンが多い土地柄、ストレートな店名もあって、「あっ、大豊さんだ」とすぐに人だかりができる。
さて、2年前に患った大病とは急性骨髄性白血病。
「ずっと微熱があり、ボ〜ッとして気分がすぐれない。おまけに、できものが紫色に変色した。これはおかしいとかかりつけの医院に行ったら、“大きな病院で検査した方がいい”って言われてね。“がんですか?”と聞いたら、“がんよりヒドいかもしれない”って返事で、最終的に急性骨髄性白血病ってわかったんだ」
入院時期が宝塚音楽学校を次席で卒業した長女の新人公演と重なった。
「心配するといけないから、病気のことは隠して入院したよ。ワタシは行けなかったけど、仲間たちがバス3台に分乗して新人公演に駆けつけてくれた」
●「リーマン・ショック以降、景気が悪くてね。あと、2年前に大病を患ったのも転換点になった」
入院生活は09年3月から5カ月に及んだ。抗がん剤治療を4回受け、いったんは退院するも、去年再発して再び入院。
「もう骨髄移植しかないと言われた。だけど、日本人にはワタシに合ったドナーはいない。で、台湾、中国、香港まで広げて探そうとした矢先、3人の弟姉妹のうち、妹の白血球の型とワタシのとが一致することがわかったのよ」
骨髄移植の手術は昨年6月25日に行われた。間もなく1年経つが、大きな後遺症もなく、順調に回復している。
「星野仙一監督の奥さまも白血病で亡くなってるんでね。ワタシも一度は死を覚悟したし、骨髄移植をしなかったら、今年の1月か2月あたりに死んでたんじゃないかな。元気に復活できたのは妹と先生、仲間たちのおかげだよ」
夫人を心筋梗塞で亡くし、今年12月で6年。次女は母方の祖母と京都で暮らしている。
「再婚? とんでもない。そんな余裕はないよ。『大豊ちゃん』を軌道に乗せ、経営を安定させること。それが今のワタシの一番の仕事ね」
(日刊ゲンダイ2011年6月10日掲載)
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