Mar 03, 2009

教習所の敷地に野良犬が

教習所での技術指導を受けている時、隣の敷地に野良犬が入っていたこと私の運転する教習車の目の前に、その野良犬が飛び出したしました。慌てて急ブレーキを踏んでいたが間に合わず講師補助ブレーキを踏まれてしまいました。いくら本だが、もし今の人だったらどうするだろうと教官からの山々説教されました。
大学生の時、夏休みに友人数人が自動車運転免許を持っているという話をするとよく話題に上がったのが合宿免許です。短期間で、自動車運転免許を取得することができるという噂を聞いて皆興味を持っていました。大学のホールには合宿免許のパンフレットなどを置いていたので、よくみんなで合宿免許に行こうという話があります。
 国内観測史上最大のマグニチュード(M)9.0を記録した東日本大震災から11日で1カ月。甚大な被害を受けた福島第1原発は、放射性物質を放出し危機的状況が続くが、収束のめどは立っていない。大津波や地震による死者・行方不明者は、10日の集計で2万7621人(警察庁まとめ)。被災地では捜索が続いており、数はさらに増える見通しだ。避難者数は依然15万人を超える。被害の全容もいまだ把握できておらず、復興までの道のりは遠い。
 政府は、緊急度の高い被災者向けの仮設住宅建設やがれきの撤去、ライフラインの復旧に当てるため、まず4兆円規模の第1次補正予算案を組む方針だ。
 福島第1原発は、電源がストップして冷却機能が失われ、圧力容器内の核燃料棒が損傷。1、3号機の原子炉建屋が水素爆発を起こし、2号機は原子炉格納容器が一部損傷したとみられる。4号機は使用済み核燃料プールが冷却機能を失って水素爆発を起こし、原子炉建屋が損傷した。原子炉を安定させ、放射能汚染の広がりを防ぐには冷却機能の回復が必須。仮設ポンプによる注水でしのいでいるが、周辺施設や海に放射能汚染水を流出させており、復旧作業を阻んでいる。
 政府は収束の見通しについて「いつごろまでにと責任を持って言える段階にない」(枝野幸男官房長官)としており、綱渡りの状況が続く。第1原発周辺の避難指示圏内にある福島県双葉郡の8町村は行政機能自体を県内外に移した。
 警察庁の集計では、大震災で全壊した建物は東北を中心に9都県で計4万8734戸。しかし、岩手、宮城、福島3県の多くの自治体はいまだに被害状況を調査中。特に福島県の避難指示圏内では手つかずの状態で、不明者の捜索も難航しており、被害の全容把握は難しい状況だ。 

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 岩手県大槌町から100キロ以上離れた内陸部の雫石町の旅館に避難中の元会社員の小国省司さん(77)は毎週金曜にはバスを乗り継ぎ1時間半かけて盛岡方面に通う。妻シメさん(76)が震災直後から入院しているからだ。往復3100円。年金生活の身には大きな出費だが「妻の顔を見ないと不安ですから」。

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 シメさんと2人暮らしで、あの日も自宅に2人でいた。揺れが収まると腰が悪いシメさんを車椅子に乗せ、小学校に逃げ込んだ。家は流された。

 翌日、シメさんはヘリで盛岡市の病院に運ばれた。人工透析を受けているためだ。対面できたのは3日後。その日は埼玉県に住む息子、娘とも初めて連絡が取れた。「2人ともうまく逃げたから」。それ以上言葉にならなかった。

 県が避難者を内陸部に移送する計画を聞き、すぐに手を挙げた。少しでも妻の近くにいたいと思ったからだ。

 旅館の個室での生活は2週間が過ぎた。旅館前のテント内に設置された洗濯機を使うのも慣れた。「みなさんのおかげ。感謝しています」

 先行きを考えると不安が多い。「自分も家内も大槌に戻って暮らしたい」。願いはそれだけという。【三木陽介】


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 「たらっぽ(タラの芽)も出たがなあ」「また採りたいねえ」。春の暖かさに包まれた埼玉県加須(かぞ)市の旧県立騎西高校。福島第1原発がある福島県双葉町から避難している紺野アイ子さん(63)は、春になるといつも近くの山へ山菜採りに出かけた友人と故郷を懐かしんだ。

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 町北部にある自宅は、地震と津波の被害は免れたが、原発事故による避難指示を受けて一家6人で川俣町、さいたま市、加須市と避難所を転々としてきた。最初は「二、三日で帰れる」と思ったため着の身着のままで、愛犬は数日分のえさを置いて庭にロープでつないだまま。孫の希美(のぞみ)さん(9)は愛犬の写真を一日中眺めながら心配している。

 毎年、春になると自宅の庭にはパンジーが咲き誇り、夏にはアイ子さんが庭で育てた新鮮なナスやキュウリが食卓に並んだ。週末の楽しみはバーベキューで、夫誠一さん(68)が近くの高瀬川で釣ったアユや、長男幸洋さん(41)が南相馬市沖で釣ったアイナメなど、地元の旬の食材をわいわい言いながら味わった。

 「ごく当たり前だった日常が、あの一瞬ですべて失われました」。今は、体育館の毛布の上で弁当を食べる時間がささやかな一家だんらんになった。

 いつになったら帰れるのか。帰れても、放射能汚染は大丈夫なのか。心配事が尽きず、一睡もできずに朝を迎える日も多い。

 しかし、アイ子さんはあきらめていない。「何年後になるか分からないけど、いつかまたみんなで双葉に帰って楽しい生活を送るんです」【袴田貴行】


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