Apr 13, 2011
やはり脱毛は永久脱毛がいい
一時的に脱毛したり、毎日自分の処理による脱毛は面倒である。やはりエステサロンやクリニックで永久脱毛した方が良い。最近では価格が下がり、全身脱毛に行ってもそれほどかからない程度に適当にされているので、お気軽に永久脱毛ができるのだ。完全永久脱毛クリニック脱毛が、エステサロンよりも完璧すぎるのだ。数年前にレーザー脱毛をしたくて説明を聞きに行ったが、私は精神病の薬を食べているので断られてしまいました。なんでも皮膚に損傷が気になるようだ。スタッフもマニュアルに基づいて拒絶しているだけなので説明もあいまいだった。あきらめていない私は医者でもレーザー脱毛について聞いたのですが、本当に言うことがないと回答。完治されると、待っているとスタッフは言っています、この手の病気は、完治は困難です。薬の種類と副作用をより納得できるよう説明して欲しいと思っています。
ジャスダック上場のソフト開発会社「ジャストシステム」(徳島市)の内部情報を公表前に入手しインサイダー取引を行ったとして、証券取引等監視委員会が東京都渋谷区のコンサルタント会社社長(42)を金融商品取引法違反の疑いで強制調査していたことが21日、分かった。監視委は東京地検への刑事告発を視野に慎重に調査している。
市場関係者によると、ジャスト社は平成21年4月3日に東証1部上場の制御機器大手「キーエンス」(大阪市)と業務提携すると発表したが、コンサルタント会社社長は公表前に関係者から情報を入手。妻名義などの口座を使ってジャスト社株を購入した疑いが持たれている。発表前日に252円だった同社の株価は発表後に100円以上高騰。社長は値上がり後に株を売り抜け、数千万円の利益を得たとみられる。
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■喫茶店オーナー・小川清さん(54)
「淀川屋さん」と呼ばれた男がかつて大阪にいた。江戸時代から昭和初期まで生き、淀川の治水に人生をかけた大橋房太郎。その人生に感銘を受け、昨年秋、大阪・本町で喫茶店のオーナーを務める小川清さんが「淀川の治水翁−大橋房太郎伝」(東方出版)を上梓(じょうし)した。小川さんは「命をかけるくらいの気持ちで大阪を水害から守ろうとした先人の業績を知ってほしい」と語る。
大橋房太郎は江戸時代末期の万延元(1860)年、現在の大阪市鶴見区に生まれた。明治18年の淀川の大水害当時、法律家を目指す書生として東京にいたが、水害の惨状に衝撃を受け、故郷・大阪に戻り、生涯を淀川の治水にささげた。
淀川の水害は古代から明治まで134回を数えるともいうが、その中で最も被害が甚だしかったのが明治18年の大水害だった。
房太郎は10年以上の時日を費やして地元や国の政治家を動かし、国に改修事業を決意させた。そして、大水害から20年以上たってから現在の淀川が姿をあらわした。「治水翁」の名は大正12年、当時の内務大臣、後藤新平が考案した。
小川さんが「治水翁」のことをくわしく知ったのは3年前。房太郎の子孫の女性から、「このままでは房太郎の仕事が忘れ去られてしまう。房太郎のことを書き残してほしい」と頼まれた。
資料は手紙類と昭和30年代に出版された古い伝記だけ。資料を調べるうちに、自分のことを顧みず、一般の市民の生命を守ることに力を尽くした房太郎に魅了されていった。
「房太郎が自分で書いた経歴があり、事績は調べればわかること。でも、人物のイメージをつくるのに苦労しました。書き始めるまで半年以上がかかりましたが、着手するとすいすいと筆が進み、2カ月で脱稿しました」
昭和32年、大阪市中央区に生まれ、27歳で大阪・本町の「平岡珈琲店」を継いだ。今も同区に住む。名物の手作りドーナツを揚げたり、コーヒーをいれたりしている間も頭の中で文章をつづり、夜になると机に向かった。
「大阪の恩人のことを子供たちにも知ってほしい」。そんな願いもあり、できるだけ易しい言葉で書いた。
房太郎のことを本にまとめて感じるのは、「典型的な明治の男だなということ。新しい時代を迎え、前例のない仕事に取り組む、その強い意気込みと行動力に打たれます。今は自分の利益のためだけに行動する人も多い。しかし、房太郎は『私』のためではなく、『公』のために生き、損得を考えない。大きな人物だと思います」。
大阪は低い土地も多く、一部の地域で津波による浸水の可能性も指摘されている。
「災害は繰り返しやってきて、生活を根こそぎひっくり返してしまう。過去の防災の偉人について語り継ぐことが未来の防災につながれば」と話した。(袖中陽一)
◇
【メモ】明治18年の淀川大水害
6月末日から7月1日にかけて、台風による暴風雨が大阪を襲い、各地の堤防が崩れた。浸水戸数7万2509戸、流出戸数1749戸、死者・行方不明者81人という記録が残る。大阪市内の浸水は約4メートルにも及んだ。当時の新聞では「商都壊滅」「橋の流出三十一に及ぶ」などと報じられたという。
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